長野のたてこもり、的外れの人を標的にする

 長野県北部の住宅と農村が広がる地域で、警察官2人が警察車両に乗ったまま、散弾銃で撃てれ死亡、

さらにその前には、近所を散歩していた女性2人が刃物で刺されており、いずれも死亡で計4名を一時に殺害してしまうという事件が大きく報道されています。

 父親は市会議員で議会の議長を務めていたというし、本人も大学へ通っていた中で孤立したということだから、裕福で教育レベルも高い家庭で育ったのでしょう。

 犯人の動機は、孤立していることを笑われたからとのことですが、最初に標的にされた女性が悪意を持って犯人に接していたため、標的にされる理由があったとは到底思えない事件です。

 犯人はきっと誰とも繋がりが持てないまま孤立してしまい、挙句の果てに病的と思える妄想を持つに至ったのでしょう。そしてどこにその孤独感と心のストレスをぶつけてよいのか分からず、「的外れの標的」に刃物や散弾銃を向けて残忍な殺人に至ってしまったのでしょう。

 こういう事件が起こると、犯人個人の異常性の追及であるとか、銃刀法の不備であるとかに報道が向かいがちなのですが、本当にそれでよいのでしょうか。殺人という残忍な形ではなく、自分への殺人という形に向かうことも多いです。

 根っこは「なぜ、とことん孤立してしまうようになるのか」なのではないでしょうか。誰とも何とも繋がりを持てないのはなぜなのでしょう。血の繋がりのない他人だけでなく、家族や自分自身にさえ何の価値も見いだせなくなるのは、本人の異常性とか銃刀法の不備とかそんなものでは説明できない理由があるでしょう。

 江戸時代にこんなことがあったのか、それ以前からなのか何かヒントになりますね。

タイトルとURLをコピーしました